いけ面掲示板


想い出のあとさき

1:少年時代 :

2020/08/03 (Mon) 06:52:47

https://bbs11.fc2.com//bbs/img/_874000/873914/full/873914_1596405167.jpg いけ面です。沖縄はタイヘンやね、コロナに台風ばい。
言葉は悪いが「それがどーした」で開き直るしかない。
あっち行け、台風。

今日は烈文は書かんもんね。せやろがいおじさんは封印して
爽やかに行きます。

昨日は久留米高校の渡り廊下の思い出を書きました。
陽水の歌が心に流てきてたのよ。

♪夏が過ぎ風あざみ 誰のあこがれにさまよう
青空に残された 私の心は夏模様

目が覚めて夢のあと 長い影が夜にのびて
星屑の空へ 夢はつまり想い出のあとさき♪ 


あの渡り廊下は2層構造になっていて、2階同士は天井があり3階は天井がなかった。2階は音楽室等への順然たる移動空間であり、ませた男女の語らいは、青空天井の3階にあった。

だから普段は3階へは行かなかった。行ってカップルの先客がいると「こりゃ、失礼」と引き返すのが校風だった。

でも自然児の椿とオレは、お構いなく3階から武道場のベランダを眺めていた。そうねぇ、考えると「こりゃ失礼」の余裕は無かったのよ。

成敗したのは2人の先輩だったけど、御釣りに柔道部の先輩6-7人が付いてきた。

で俺達二人はカッコつけて武道場に行ったけど、多分顔色は悲壮やったろや。久留米高校にはそういう蛮勇の話は無かった。

だから今日はその後を書きます。
柔道部の畳にふてくされてあぐらをかくと、陰の番長と言われたG先輩が声を出した。「よう、逃げんで来たな」みたいな事を言われたと思う。

でパンチが来ると思ったら来ない。ただ「先輩ばこわがらしちゃでけんぞ、返事ばせんかぁ」

今、考えても手を出された記憶がない。ただ言えるのは柔道部に同期の親友がいた。三潴中出身の純朴なその少年を、G先輩は可愛がっていた。あいつが多分、俺達二人を庇ってくれたんだろう。

山と川に囲まれ、平家の落人伝説の杉谷部落を持つ明星中は、諏訪・櫛原・城南という都会の中学にはなじめんかった。

詰襟のボタンを外し、チェックのシャツを覗かせた奴、バックスキンの靴を履いて来るサバケタ奴、喫茶店に出入りする奴らは相手にせんかった。

親友の大津にはそれが無かった。純朴で義理人情の男だった。

それ以後、明星中からきたオレ、田主丸の椿、三潴の大津は仲良しになった。

でも男は田舎もん好みでも、女子は違ったね。想いを寄せていた櫛原中の子が文化祭の舞台でテナーサックスで「女王蜂のテーマ」を吹いた友人に持っていかれそうになった。

その文化祭があった講堂は、校門を入り右に居れた、今の駐車場の所にあった。これも今は無い。

今日のパチリは空。あの向こうに、あの頃がある気がして

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