(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

無事です。

  • いけ面
  • 2020/07/07 (Tue) 12:01:03
いけ面です。各方面から水害の心配を頂きありがとうございます。

降ったり止んだりの雨ですが、まだまだ筑紫次郎は予断を許さない状況です。だけど、自分が住んでる上津は、その名前の通り、津の上だから浸水の被害は無く、しかも近くを流れてる桃太郎川から50mは高いんで問題はありません。

でも何時から「上津」という地名が付いたんだろう?

以前、明星中の沿革を調べた折りは、高良内小と上津小が明星中に行っていた。俺が通った東国分小の子は、西国分小の子と一緒に諏訪中に行っていた。

その後、自衛隊の中の校舎で学び、最後には明星中にお世話になる事になる。

だから既にそん時は上津という呼び名があった。数年前の明星中の沿革にその歴史が書かれていたが、今は削除されて実に味気ない感じ。

因みに小学校で一番古いのが明治6年の御井小学校
で上津という字は昭和になってから・・・・・じゃ、昔は何ちゅうたか?

昔は上津荒木村(こうだらきむら)と言い、かつて福岡県三井郡にあった村。

•1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、御井郡上津荒木村、藤山村、藤光村が合併し、上津荒木村が発足。

•1896年(明治29年)2月26日 - 郡制施行により御井郡が山本郡、御原郡と合併し三井郡に属する。
•1951年(昭和26年)4月1日 - 久留米市に編入され消滅。


だから昭和の戦後に「上津」と呼ぶようになったらしい。この明星中の沿革は以前書いたんで、探したけど4000近い投稿で解らんかった。

昼から江戸末期の上津荒木について調べようかね。そんなわけで私いけ面は無事です。


毎年の災害

  • シビレる人
  • 2020/07/06 (Mon) 07:24:09
いけ面です。しも健ちゃん無事でなによりです。

「災害は忘れた頃に」は昔の話、地球温暖化の影響で毎年どこかでの日常茶飯事。国連もこの取り組みとコロナが喫緊の最優先課題やね。習と金と文とプーチンにトランプを教育してね。


貴兄の幼い時代の水害記憶は、俺は八代の鏡で経験しました。
それこそが昭和28年の筑後川大水害の事。正式には昭和28年西日本水害の事と思います。

佐賀、長崎、福岡、大分、熊本の5県がやられています。

熊本では白川や菊池川が氾濫して、死亡者、被災額は熊本県が、福岡県を抜いて一番です。

おれはその後に久留米に来ました。

さてシビレはひざ下から足の裏まであり、床に立っていても
裸足という感覚はないようです。足指のグー・チョキ・パー体操
をやってるけど、まぁ「ウイズ・痺れ」と思ってます。

も少し上の方は、本田翼とあいみょんにシビレてます。(胸やけんね)

まだ雨は続くようなんでご自愛ください。
今日も花を貼ります。「さかとんぼ」

熊本んオトツ

  • 水害の記憶
  • 2020/07/05 (Sun) 10:12:16
潤兄、おはようです。
人吉地区はかなりの災害がでているようです。
御船付近もやばい状況でしたが、かろうじて乗り切れた感じ。
思えば、御船川の氾濫も三度経験しました。
三歳の時、木船に乗って近所の二階建ての家へ避難したことを憶えています。
二回目は、結婚したばかりのその年でした。
ちょうど熊本学園で訓練中でした。
三回目は、昭和63年。
買ったばかりの新車が水に浸かってしまいました。
川が決壊し、水があっという間に二メートルほどになりました。
車を移動する時間もなかったように思います。


今、人吉地区は大変のようです。
経験したことがあるだけに、大変さがわかるような気がします。

上津の方は大丈夫だったようですね。
さて、剣道の方、ボツボツ始められてあるようですね。
指導者という立場からも、稽古自体も慎重になりますよね。
どうか感染者が出ませんよう。
それから、身体のしびれなど、体調の方はいかがですか。
先日のブログで、ちょこっと記してあったんで気になっていました。
ご自愛ください。

PS
先日のアップされてた”水仙”の花、描きましたよ。
いつか見てもらえたら、と思っています。



千歳川

  • 筑紫じゃ気のすまん人
  • 2020/07/05 (Sun) 06:55:59
いけ面です、九州南部水害の情報が出てきた。球磨川付近で最高9mの浸水だって。

昨日、腹かいて小川先生の防具を置き捨てた(後続の先輩が担いで汽車に載せた)人吉駅の浸水が5mなんよ。球磨川は川下りで狭隘の曲がりくねった地形が防災を阻んでいるらしい。

この水位ゾッとするね。恐かったろやぁー。
因みに昭和28年の筑後川大水害の時は
久留米医大が浸かり、櫛原一体も浸かった。それが6m。

さて筑後川は日本の3大暴れ川と言われる
坂東太郎(利根川)筑紫次郎(筑後川) 四国三郎(吉野川)の順で次男なんよね。

何故、利根川を坂東太郎と言うのか?相模国の足柄山・箱根山以東を坂東と呼んでいたことから。

なんで長男なのか?これは確か水系の長さを競い2番が筑後川だったと理解した事がある。

じゃぁ、何で筑後川を筑紫と呼んだのか。調べたのよ、この手の疑問は昔からグイグイいくもんね。以下文献より

『この筑後川は、数多くの文献、伝説等を残しながらも、公式に筑後川と呼称されるようになったのは、寛永13年(1636年)である。

筑後川はその古名を『ちとせ川』(千年川)、時には、筑前、筑後両国の中間にあるため『筑間川』とも呼ばれていた。

鎌倉時代(約660年前)には、次の一首がある。
「君か為 かきりもあらし千とせ川 ゐせきの波のいくめくりとも」

江戸幕府時代(約300年前)には、
「我君の なかれ久しき ちとせ川 波しつかなる世に つかへつつ」

さらに明和、安永の頃(約200年前)、中村梅塢(久留米藩儒者)が 「中秋冷舟千年川」の詩をよみ寛政7年(1796年)蝶夢の編集した「俳譜名所小鏡」の筑後の部「千歳川」に蝶酔の句として 「菜の花の色もはてなし千歳川」 とあり、この頃にはもう筑紫平野に菜種の植付がなされていたようである。

文政、天保年間(約130年前)ごろになると名称の由来、古名等が判然としてくる。

筑前の国学者青柳種磨の「筑前続風土記拾遣」には、「千年川、此川筑前筑後両国の堺にありて両国に属す、川の中流を以って両国の堺とす、筑後の間を流るること長き故に「世に筑後川」とも云い・・・・・・千年川は古名也」と記してあるところから、千年川が当時の流域住民に愛称きれたことは容易に推察できる。

千歳川のいわれについては、斉明天皇が。朝鮮半島の表玄関の役割を果たした那大津が、今後も長く栄えることを願ってのことである』

そうか、昔は千歳川と呼んでいた。自転車で回った水天宮に、軍艦「千歳」の碑があり、筑後川の古名が千歳川と言ったのを知っていた。

その後筑前、筑後に跨るから筑間川と呼ばれるようになった。
江戸時代中期には、川は筑後の方に流れるのが多いので「筑後川」となったのね。

それに「筑紫の国」の北半分が「筑前」、南半分が「筑後」

そうなると筑紫次郎の呼び名は江戸時代以前という事になる。それならユルス。

因みに坂東も筑紫という地名も日本武尊からの呼び名という。


今日のパチリは「どう?参ったぁ」
「うん・・・とっても」

人吉

  • 若造のいけ面
  • 2020/07/04 (Sat) 13:52:54
いけ面です。人吉、球磨川地方の水害は今から被害が出てくるやろね。

熊本の兄弟の所は、も少し上の方なんで大丈夫かな?
でも川の側で低地だった気がするので、被害など無ければと思います。

人吉と言えば剣道の思い出がある。筑陽会という八女の小川八段のお誘いで、出稽古に汽車で行った事が有る。

1日目は川の側の武道場で試合をした。中でも久留米の宮田八段と、八代東高校教師の右田八段の立ち合いを
覚えている。試合は引き分けだったが、宮田先生が「右田がオレを立ててくれた」

年齢差があり、打てる所を相手が打たなかった様な意味の事を仰ったが・・・・・オレには感じられなかった。
対峙した者同士しか解らない呼吸だったろうと思う。

試合はオレもやった筈やけど覚えていない。ただ後の稽古会では二刀流の八木武兵衛八段に良い様に遊ばれた。

その夜、人吉の山本伝一先輩にスナックに呼び出されて、八木先生の攻略法を伝授された。がアルコールが脳みそに充満してワスレタ。

そして思い出さぬまま、朝また八木先生に懸った。先生の長刀の面を受けた瞬間、片手の小刀が俺の突き垂を「ボクッ」
「そんなぁ」と言いたい気分だった。

八木先生の愛弟子の伝一先輩に誘われ、八木先生のご自宅で試し切りをやらされ、お褒めを頂いた。流派は同門の伯耆流だった気がする。

帰りには伝一先輩から人吉の酒「繊月」を頂いた。
帰りの人吉駅で、小川先生の防具と自分の防具の二つを担ぎ、お土産の繊月を持って汽車に乗る。
その時、デッキに当たった繊月がパリ―ン。

すると既に前を歩いていた小川先生から「何とバカな事をしたか」と叱責。
先生の感覚からすれば「貰った以上は皆の物」の感覚だったろう。

俺は担いでいた小川先生の防具を地面に置き、スタスタと乗車した。
列車が走り出すと、小川先生がビールを持って酌に現れ、この若造の機嫌を取られる。

人吉にはそんな懐かしい思い出がある。小川先生は稚気愛すべき、稽古バカの良い先生だったなぁ。




人間だもの

  • いけ面
  • 2020/07/03 (Fri) 10:54:58
いけ面です。

中体連の試合日程ですが当初、23日の
個人戦の次が、24日の団体戦としてましたが、女子の個人・団体を23日、次の日に男子の個人・団体をやる公算がおおきくなってきました。

応援の人数を勘案してらしい。補欠も試合場に入れず、観客席で待機。専門委員長の池田も大変やねぇ。そうなると
ゆりかのアップの相方を、優牙に頼もうかと思ってます。

まぁ今週の土・日と、来週の土・日に高体連の「高校3年生のための福岡県高等学校剣道大会」が久留米武道館で在るらしくそれを参考にするとヨカろやと思います。南部と中部のゴチャマゼ
の大会だそうです。この試合に久留米高校は参加しないと聞きました。

もう後輩達は卒部として受験モードらしい。感染防止で遠慮してくれと言うから稽古参加も自粛したが情報が無い。

まぁ、OBとして母校に稽古行ってる身からすれば、他校の父兄からこの情報が入る事自体が実に不思議な話です。

中体連も訊くと、オーダー提出が来週の月曜までで、今日からはオレは明星中は休み。来週の出稽古の結果で、決めようと思ったけど、近々の結果で決めざる得ない。

情報は迅速を旨とする。情報を整理して一発で報告しようとする部下を持つと、部隊は全滅するんよ。

「拙速でもまず一報」を基本とし、それが出来ない部下は外すか、部署替えか、最悪が首。
まぁ、中学校は間に合ったから良かったけどね。マスクも作ってもらったし。

だから昨日はすこーしモヤモヤして機嫌が悪かった。今日になると、当然・・・忘れた。

さて
おれくさ、久留米城に入城した歴代藩主の話書いたり、刀剣の話を書いた。そもそも何の話から飛んで行ったんだろう。

何かさ、2月の終わり頃に、近づく春の夜明け前を想い
「やまとは くにのまほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和うるはし」の歌が頭に浮かんだ。

その「やまと」を「筑紫」と読み替えるとスッキリすると書いた。
そしたら筑紫の国の範囲が気になり、筑前が出て、筑後がでてきた。筑豊は豊の国の大分の領地だった事からこの名前が付いた事を学んだ

すると久留米と柳河の藩の歴史になり、元寇が出てきて、刀剣の相州伝に発展し、「今川義元の左文字」になり家康が出てきて「麒麟が来る」が出てきて、秀吉の大返しになり、関ケ原になった。この天下分け目の遠因が小早川秀秋。

この小早川の名前が、久留米藩の初代藩主と同じ姓な事から調べ、裏切りの小早川と違い、久留米は豪の者の藩主と解り、スッキリ。

発想から始まり、とびとびの転想となって行くみたい。たまに我で「そもそも何から派生したろか」と思い出してみる。

なんと伝染病みたいな展開やろか?でも頭にゃヨカとやろね。

そう言えば
「忘れた事実を覚えているのが健忘症、忘れた事実を忘れているのが認知症」とも書いたな。

そしてキザな事かいた「忘れるのは恐くない、ただ乾くのが恐いだけだ」

思い出したら恥ずかしくなってきた。やめます。
でも、腹かいたり、恥ずかしかったりするから人生は面白い。


ミュージック

  • いけ面
  • 2020/07/02 (Thu) 04:59:56
いけ面です。今朝は2時から起きてます。
んにゃね、友達からウイスキー「朝倉」を頂いたのよ。
で強炭酸割りで飲んだ。薄くて味がワカラン

なんでロックで飲んだ。美味い。で「まぁまぁ」と自分で自分に
奨め、御代わりを重ねた。当然、2時に咽喉が乾いてリビング。

すると、NHKで「駅・空港・街角ピアノ スペシャル」という番組があってた。

通りすがりの人が気軽にピアノ弾いてくださいと、置いてあるピアノ。

日本でやってるドッキリ物じゃなく、お母さんが赤ちゃんを胸に抱き弾き、赤ちゃんも指を出していた。

59才のコメディアンが離婚して住み慣れた街を離れ、着いた空港での弾き語り。曲は「ハレルヤ」娘と弾いた思い出の曲とか。

刑務所の教会でピアノに出会い、その縁で彼女と結ばれた男。

また18才の若者は、イスラエルでの兵役の為、帰国の最中に「弾き納め」とばかり指を躍らす。

91才のお爺さんは正装して空港に現れ、厳かに弾いて去っていく。

少年が弾いてると、通りかかったオバサンが一緒に座り、クラシックをブルースに変えながらセッション。

始めて見た番組だったけど、「音楽が、どれだけその人の人生を潤しているか」を思ったね。
自分が弾く喜び、それを聴いてる人を楽しませる喜び。

これに値する物を俺は持たない。何かさ、剣道にしても、写真にしても、自転車にしてもこれ程の自他共有して繋がるモノはない気がしたのよ。

なおこの番組はBSの夜だけ。たまたま観たのはNHK総合で夜中の午前1:40~午前3:20までの再放送だったらしい。


今話題の「昼オケ」にはないグローバルさ。せめてライブハウスで感覚を共有したいが、自粛仲間を裏切る訳にもいくまい。

せめて後ろからジャズ・ピアノを聴こうかね。
ウイントン・ケリーで「Softly, as in a Morning Sunrise」


頂いた朝倉はウイスキーでなく焼酎でした。でも味も琥珀の色合いからも皆ダマされます。

今日のパチリは・・・・百家争鳴 に見えるんよドボしても

中体連

  • いけ面
  • 2020/07/01 (Wed) 09:16:46
いよいよ7月、いけ面です。
香港はとうとう占領されたね、共産党に。

民主主義を求めた若者達が、地に潜るにしても、監視と統制が得意技の中国だから、人知れず拉致・監禁・拷問の粛清の嵐が今後吹こう。

世界にこういう国が、今でも存在する事が不思議。それも日本の周りばっかしやもんね。

一国二制度の約束を破っても、当時の当事者の一人、英国は何にも言えない。力が約束を押し破る事の典型。

河野が言うたね。「これを許してしまうなら習を国賓して迎える事は考えざるおえない」と。
この発言こそ、「国家の態をなす最低限の品格」に繋がる。

だから漢民族の中華思想とは、世界制覇なんよ。周辺の多民族は皆、迫害されいずれ滅ぼされている。

国家と国民は違うと言う。北とロシアはまぁそうだろう。中国、韓国はそうじゃないように見えてしまうのはおれだけやろか?

明るい話題に変えます。中体連市内大会は7/23-7/24の日程で久留米武道館で行われます。

ただ
・二日間を個人戦・団体戦でやる予定ですが、女子・男子で分けるかは検討中です。
施設の利用制限が緩和されない時は無観客試合もあり得るそうです。

・竹刀検査は密を考慮してやりません。
・鍔迫り合いは発声を避ける事以外は今まで通り
・ただ密の関係で鍔ぜりからの引き技は早めにだか、分かれる事

・面の中はマスクとガードの併用でやること。

・個人戦では1回の延長の後は、判定で決める。
・団体戦の代表も1回の延長の後は判定で決める。
・アップは選手のみで行う。明星中の時間は820-850で950から試合開始。    以上です。

なお、大原合戦は中止になりました。7/11土は出稽古に行く予定です。
マスクは野田顧問作成を頂き、昨日やりましたが苦しくない。
安倍のマスクも小さいんで快調やった。

今日のパチリは逆胴

翼とマスク

  • いけ面
  • 2020/06/30 (Tue) 06:27:33
いけ面です。今朝は、土曜日の三潴中行き位の豪雨を覚悟してたけど5時になるとカラスが泣き出した。だから雨はちょびっと。

朝、起きるとリビングに行ってコーヒーを飲みながら、血圧計に腕を突っ込む。133-80、そして体重計に乗る。何かさ、規則正しい生活に見えるでしょ?

んにゃね、月末やんね。入れたデータのアベレージが
でるけどサボって、データば入れとらんやったとさ、だから今朝は真面目。そしてパソコンを上げる。飛び込んで来た記事。

「本田翼、おめでたか」 えっオレ何も聞いとらん。
そうなんよ、この手の記事はフィッシング詐欺みたいなのが多い。で普段はスルーするけどやっぱりクリック。


「老若男女問わず大人気…その活躍の舞台はテレビにYouTubeにインスタグラムと、いまや“無双状態”の女優・本田翼。

その翼さんが6月27日、「ダブルおめでた」を迎えて、多くのファンから祝福の声が集まっている。先日、急性中耳炎で緊急入院が伝えられ、初司会となる『中居大輔と本田翼の夜な夜なラブ子さん』の収録を欠席していた。この日、退院したことを自身のインスタグラムで報告した。またこの6月27日は翼さんの誕生日だったため、たくさんの祝福の声が寄せられた、とtabloが報じた」

何の抵抗もなく釣り上げられたワシ・・・・病名が虫垂炎が中耳炎になってたけど・・そぎゃんとはどげんでんよか。


さて、今日から稽古再開です。左足の裏は相変わらずジンジンしててここだというタイミングの蹴りが遅れてるけど、これは何ちゃない。

それよっか、マスクたい。改正で鼻の下での装着が可能になった。で既存のマスクをカラス天狗みたいに中高くする方法を考え、「メイク・キープ・フレーム」という物をネットで見つけた。

これをマスクの中に装着すると、口の周りに空間が出来、呼吸が楽だという。だがこれを稽古の度に取り付ける事をするやろか?この玉は。ウンニャ・・・却下、でやっぱりそれに近いマスクを探し始めた。

①日本製であること。訳ワカラン西の国製では無い事。
②金に糸目は着けないが1000円以内でクールな事
③口で息を吸った時、生地が吸いついてペコペコならない事
④口コミが100件以上であり、評価が4以上で有る事。

で見つけました。注文したら2週間お待ちくださいだって・・・
だからその間の稽古は普通のマスクを遣います。もし苦しくなったら、唇の片方にマスクをして上唇と下唇ではどちらが飛散量が多いかを実験します。

折角、揃えたウイルス・ガードはお相手からの飛散防止の盾として使います。アイ・ガードは熱で曇り、霧の中状態になりそうなんで想定外です。


今日のBGMは「アイ・リメンバー・クリフォード」
ビブラホンが雨を優しく変えます。

久留米藩の小早川

  • いけ面
  • 2020/06/29 (Mon) 04:57:38
いけ面です。

近頃、成り行きで小早川秀秋を書いたけど、久留米藩の初手の藩主も小早川だったよね。2月頃のいけ面掲示板を探したら,
どうもサラーと紹介してる。

秀吉から久留米藩主に命じられ、久留米に着いたら
高良山の座主が篠山城に居て、一悶着と書いた。

この藩主も秀吉の時期・・・・秀秋とはどうゆう関係か気になりだした。

調べました。毛利元就の九男で、「毛利秀包」と言います。兄貴で三男の小早川隆景の養子になり小早川を名乗る。

で、この秀包は勇猛で聞こえていた。オレはしれーと久留米に配属された凡人と思ってた。


以下資料より

『天正11年(1583)、毛利氏が羽柴秀吉と和睦すると、人質として吉川広家(甥になります)とともに、大坂に送られました。秀包は秀吉から厚遇され、「藤」「秀」の字を与えられて、小早川藤四郎秀包と名乗ることになります。従五位上・治部大輔にも任じられました。

人質とはいえ、秀包は小姓のように秀吉に近侍していたのでしょう。天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦にも秀吉に従って出陣しました。時に秀包、18歳。

翌天正13年(1585)には河内1万石の大名となり、さらに四国征伐の功で、伊予宇和郡大津城3万5000石を得ます。天正14年(1586)から始まる九州征伐には、養父・小早川隆景とともに出陣。豊前香春嶽(かわらだけ)城を攻略し、戦後、筑後に7万5000石を得て久留米城を築きました。

この頃、同じ年の立花宗茂と知り合い、親友となります。

文禄元年(1592)の文禄の役には1500の兵を率いて参陣。翌文禄2年(1593)の碧蹄館の戦いでは、実兄の毛利元康(元就8男)とともに5000の兵を率い、小早川隆景、立花宗茂、宇喜多秀家ら4万1000で、明・朝鮮連合軍15万(一説に)を撃退する殊勲を挙げました。この戦功により5万5000石を加増されて、筑後久留米13万石を領することになります。

さらに同年の第二次晋州城攻防戦では、4万で襲来した明・朝鮮連合軍を4000で立花宗茂とともに撃退しました。戦上手で知られる宗茂とコンビで目覚しい働きをしている点を見ても、秀包の実力のほどが窺えるでしょう。

文禄3年(1593)、豊臣秀吉は養子の木下秀俊を毛利本家の後継者にと望んだため、小早川隆景が小早川家の跡取りとしてこれを引き取りました。

当然、養子の秀包は廃嫡となります。しかし秀包は文句の一つも言わずに潔く身を引き、別家を立てました。なお木下秀俊が、小早川秀秋となります。

慶長2年(1597)の慶長の役においても、秀包は竹島城や星州谷城で敵の攻撃を防ぎ、大いに活躍しました』


皆さん、これは玉突き人事ですね。久留米の初代藩主は剛の者だった。そして違いは幼少の頃の育ち方にあった。

これで因縁がわかった。やはり歴史を見ると人が見えてくる。その人達が歴史を動かしていった。

今はコロナが時代を動かしている。腹立つなぁ・・・・