中学時代の恋

  • 夢遊病者
  • 2019/11/16 (Sat) 05:23:30
いけ面です。明日の錬成会はお気をつけて乗り合わせでお越しください。雄心舘HP「今月の稽古」の11-12月分は訂正し、コンクリートしたんでみなさん見てね。

さて、当時の明星中は、3つの小学校(東国分、高良内、上津)から集まり、1学年が10組以上はあった。
だから1年生時の男子はまず「牛の角の突き合い」。度々の喧嘩で段々淘汰され、高良内から来た孝が、一番強かろうで落ち着き始めていた。

オレも太っていて足が短く、相撲とったら負けるやろなぁと想像し「田舎のガキ大将は相手にせん」と決めていた。

当時、東国分の子は商店や自衛隊、勤め人の子が多く、高良内、上津は農家、果樹園の子が多かった。

それは2年生に上がってクラス替えがあり、クラス仲間をまだ知らない頃。

テレビで十朱幸代が薄幸の少女を演じ、死んでしまった。

当時は、橋幸夫の「江梨子」という歌が流行っていた。
「♪冷たい雨がぁー 降ぅる朝にぃー 一人で江梨子はぁ 死んでしまぁたぁ 可哀想な江梨子よ、可愛かった江梨子よ♪」

次の日の教室で江梨子いや、幸代をみた。本当に教室に座っていたんよ。もう、瓜二つの葉子。

今テレビでやってるハンリューの「輝くか、狂うか」じゃないけど、「江梨子がいて、幸代いて」俺が狂うには舞台装置は揃っていた。


葉子は高良内出身で農家の子じゃなく、明星山の頂上にある、温石温泉の旅館の娘だった。2軒あったが、他の1軒は丸山旅館、
そこの息子も通っていたが、そげんとはどげんでん良かった。

もう一軒の方が気になる訳よ。さらに従妹の女の子もいたけど、こちらはキャピキャピ。

そうね、葉子が伊東ゆかりで、菊子が中尾ミエの感じかな。大人しそうな葉子は死んでしまった十朱幸代の生まれ変わり。

教室でまともに顔がみれない日が続いた。高良内という農村の集落、その上に続く明星山の頂きで育った葉子。まさに深窓のお嬢さん。

その頃、高良内には平家の落人伝説があり、そこの杉谷部落には、「小椎尾、弓削」の姓がほとんどで、弁当を腰に巻いて山を駆け下り学校に来て、夕方になると山を駆け上がり家に帰っていった。

そのせいか、駅伝部はそこの出身で占められ毎年、中体連の優勝校やった。しかし、名前は陸上部ではなかった。環境のせいで長距離だけが強かったから。

2番手が剣道部か、水泳部だったと思う。

とうとう1年間、オレの熱射病は続き、相変わらず葉子は十朱幸代だった。その間、机の中の俺の教科書は無くなり、下校時は何故か戻ってきて手紙とガムが挟んであった。

葉子じゃなかった。全然知らん高良内からの子からだった。クラスに手引きした女子がいたんやろね。

だが、そげんとは、どげんでん良かった.。教室からグランドを見てる葉子の目に何が映っているんだろう・・・・・言葉を交わす事もなく3年生になった。


3年になると、進学組と就職組に別れた。葉子も進学組だがクラスは別れた。ある日学校の階段で出会った。思わずギクッとして見つめると、それは「葉子であり、十朱幸代じゃなかった」

そげーん可愛くはなかった・・ごめん、十朱幸代ほどにはね。
それは呪縛の解けた時であり、大人の階段を登りはじめた一歩のような気がする。

オレはあの頃いったい、誰に恋していたんだろう?
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